10号室 石の上の真剣勝負
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

とある山の奥深くに、仙人が住むという小さな庵がある。しかしここに来てまず
目に付くのが、その隣にある大きな岩だろう。直径約3mと見上げるほどの大きさの
岩の上部、平らに削られたところに、白ひげの老人が座っていた。彼こそが、麓の村から
仙人と謳われる人物である。しかし、仙人と言えば座るときはいつもあぐらを組んで
いそうなものだが、何故かきっちりと正座をしていた。それもそのはず、彼は今
真剣勝負の真っ最中だった。
「久しぶりじゃ。人間を見るのは」
仙人の前に同じように正座した青年はにっこりと微笑を浮かべ、丁寧に一礼した。
「初めまして。宜しくお願いします」
すでに勝負は始まっている。
「手は抜かんぞ」
少しの隙も見逃すまいと眼光鋭く睨み付けて来る仙人にも、青年はまったく
物怖じしない。
「そうですか。僕もがんばらなくちゃな」
「名は何と言う?」
仙人の問に青年は初めて、しまった、という顔をした。
「うっかりしてました。名前も言わないなんて、失礼ですよね。僕、翼といいます。
佐藤 翼」
仙人は腕組みをして、考えるそぶりを見せた。
「左様か。良い名じゃの」
「のんびり屋とか、名前負けしてるとか、よく言われるんですよ。言い返せないのが
悔しいです。本当の事だから、仕方ないけど」
「どうこう言う前に、自分を見てみろと言えばいい」
「いや〜、なるほど。さすが、仙人様の言う事は違いますね。
僕、尊敬しちゃいました」頭をかきながら言った翼。見た目は最初に見た時と変わらない、
自分のペースを保って
いる。飄々とした笑顔の裏に何を隠し持っているのか分からない分、今までの
挑戦者達とは一味も二味も違う。気を引き締めていかなければならないと、仙人は
己に言い聞かせた。
「例えばの話じゃが、もしワシが負けた時お主は何を望む?」
翼はちょっと意外そうに眉をぴくりと動かした。
「昔からずっと、負けなしだったのでしょう? 僕なんかが勝てるわけない」
「いいや。仙人などと呼ばれてはいるが、所詮世間離れしたただのジジィじゃ。
いつかは膝を折る日がくるよ」
寂しそうに微笑む仙人。彼を慰めるように、遠くの方で名も知らない鳥の鳴き声が
聞こえる。後は余生を過ごすだけの老人に気を使ったのか、
次の作戦でも練っているのか翼は少しの間、口をつぐんでいた。森では、
相変わらず鳥や虫の鳴き声が聞こえる。
やがて、翼が話題を変えるように言った。
「良く話には聞くんですけど、仙人様というのは霞を食べて生きているというのは
本当ですか?僕から見ればそれでお腹がいっぱいになれるとは思えないんですけど」
随分と強引な話の変え方だと、仙人は苦笑する。
「どこからそんな話を聞いたのかは知らんが、ワシは名ばかりの仙人。実質人間と何ら
変わりはない。魚も、肉も食べるさ」
「魚……? この近くに、川があるんですか」
いくら耳を澄ましても、川が流れる音など聞こえない。翼がやって来る途中にも、
見当たらなかったはずなのに。仙人も、首を左右に振った。
「川はない。代わりに、麓の……ワシを仙人と崇めている者達が、神社に野菜や
魚なんかをお供えしてくれる。それをありがたく頂戴しているんじゃ」
「じゃあ、飲み水はどうしてるんですか? 川がないと不便でしょう」
「ウチから大分歩くんじゃが、井戸がある。井戸水を組むのも運ぶのも若かった頃は
苦痛ではなかったが、最近一辺に沢山運べなくなってしまった。年の所為かの」
先刻までの緊張はどこへやら、からからと笑う仙人に今度は翼の方が顔を引きつらせる。
「飲み水一つにも苦労するんですね。何だか僕、自信なくなってきちゃいました」
「確かに苦労は多いかも知れんな。特に、今の軟弱な若者には。電気も通ってないから、
テレビも見れんぞ」
「ぞっとするでしょうね、確かに」
「逃げたくなったか」
仙人の目が、探るように見てくる。彼の目をまっすぐに見返した翼は、ゆっくりと
首を横に振った。
「帰りたいのは、貴方の方なんじゃないですか?」
こんな山奥に、長い間たった一人で暮らしてきたら人恋しくなるのは当然だ。
翼の挑発に、仙人はかっと目を見開いた。
「帰りたいだと!? このワシが! 馬鹿にするでない、若造。人間との触れ合いなど、
もう何十年も前に見切りをつけたわ。人恋しいなどと言っておっては、仙人など
務まらん…!」
仙人と翼は、同時に息を飲んだ。沈黙が、二人の間に漂う。たっぷり三十秒あとに、
仙人は翼に深々と頭を下げた。
「……参りました」
何と言う事だ。仙人と呼ばれながら、こんな若造の挑発にやすやすと乗り、
敗北してしまうなんて。仙人の小さな肩は、悔しさで震えていた。
「僕の、勝ちですね」
翼は、満足げな微笑を浮かべる。しかしその後すぐに、怪訝そうに眉をしかめた。
「でも本当にこんな勝負やってらしたんですね。あんまり真面目な顔で言うから、
僕まで緊張しちゃいました」
言った途端、しょげかえっていた仙人ががばっと顔を上げて、再び目を見開いた。
「こんな勝負とわ何じゃ、こんな勝負とは!しりとり」は立派な言葉の勝負ではな
いか!」
「はぁ」
そう、先刻までの二人の会話こそが、「しりとり」という真剣勝負だったのだ。
少なくとも、仙人にとっては。仙人というのは変わり者が多いと聞くが、普段は
暇つぶし程度にやる遊びにここまで真剣になれるなんて、よっぽどの暇人なんだなと
翼は思った。彼にとっては仙人との勝負など、たまたま山を通りかかった時にあった
張り紙に興味を引かれた程度のものだったのだが。山の入り口に張ってあった紙には、
こう書いてあった。
“腕に覚えのあるもの、求む。しりとりで仙人に勝てた者には、素敵なご褒美を
差し上げよう。山の仙人より”
「で、素敵なご褒美って何なんですか?」
「そんな物はない」
あっさり言った仙人に、翼は頬を引きつらせる。
「え、だって、
張り紙に…」「そんなもん、ただの客引きに決まっとるじゃろ。良く考えてみぃ、
毎日の飲み水にも苦労するような山の中に、宝なんぞあるわけがない」
「はぁ」
本当に暇人みたいだ。他にやる事はないんだろうか。自分でも言ってたけど、
仙人というのは名ばかりで、本当はただ単に話を聞いて欲しいだけの寂しがり屋の
老人なのかもしれない。
「仙人様、やっぱり山を下りて皆と一緒に暮らした方が良いんじゃないんですか?」
「嫌じゃ! ウチの嫁はワシをただ飯食いなどとぬかしおったのだぞ!? あんな
鬼嫁の所に帰るくらいなら、一人で暮らした方がよっぽどマシじゃ!」
結局翼は勝負に勝ったのにも関わらず、ご褒美をもらうどころか仙人の愚痴を延々と
聞かされる羽目になったのだった。老人の長話にうんざりしながら、翼は思った。
山を下りたら、麓の村人に仙人の正体を明かしてやろうかな。
けれどいつ山を下りられるのか、それすらも定かではなかった。
 
 
 
 
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