11号室 永久を生きる者
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

車椅子に座った老婆は、静かに空を見上げていた。正面の壁と天井がガラス張りに
なっているこの部屋は、外の風景が一望出来る。けれど見えるのは、一面の星と
大きな赤い惑星だけだ。一日中、一年中、その景色が変わる事はない。
何故ならここは、地球ではないからだ。
「随分、遠くまできてしまったわね……」老婆が呟いた時、部屋のドアが静かに
開いた。
「お母さん」
入って来たのは、一人の少女。大きな瞳とあどけない顔が特徴的だが、
どうしても十代にしか見えない。八十歳を過ぎている老婆とは、親子とは思えない
はずだが、少女はなおも言った。
「お母さん…また、ここにいたのね」
老婆は星の瞬く空から視線を外し、少女を見た。皺の刻まれた顔を、嬉しそうに
優しげに綻ばせて。
「ミヤ。お帰りなさい」
思わず笑い返したくなるような微笑みを向けられたのにも関わらず、
ミヤの顔は曇っていた。
「お母さん……やっぱり、決心つかない?」
老婆は目を丸くした。
「決心って、何を?」
「決まってるじゃない! 若返りの手術の事よ」
「それなら、何度も言ってるけど…」
老婆の言葉を遮るように、ミヤは勢いよくかかとを鳴らして老婆に歩み寄ると、
彼女の両手を握った。
「お願いよ。お医者さまだって言ってたじゃない。このままじゃ、
あと数年しか生きられないって。私、そんなの嫌よ!」「ミヤ…」
車椅子の前にしゃがんで懇願するように見上げてくるミヤの頭を、老婆は
困ったような笑みを浮かべてそっと撫でた。
「分かってちょうだい。私は、今のままでいたいのよ」
「だって……だって、死んじゃうのよ!? お母さん、怖くないの?」
「死ぬのは、怖いわ。人間ですもの。私と同世代の人達も大勢、死を恐れて、
時を捨ててしまったわ」
「だったら…!」
「でもね。私はもう、あんな姿になってしまった地球を、これ以上見ていたく
ないのよ」
老婆とミヤの前には、星々の中に浮かぶ赤い惑星がある。かつて「水の惑星」と
謳われた地球の、なれの果てだった。
地球最後の日は、ある日突然やってきた。前代未聞の天変地異が、人間を、
動物達を襲ったのだ。地球上のすべての火山が火を吹き、地面は我を
無くしたように揺れ、海がすべてを飲み込んでいった。そんな中辛くも逃げ延びた
人々が、今こうして月に住居を構えているのだ。思えば老婆はあの時も、
ここに残ると言って聞かなかった。 娘のミヤが無理やり連れ出していなければ、
彼女も地球と、そして大勢の人間達と運命を共にしていただろう。ミヤには
言えずにいるが、老婆はその事を今でも悔やんでいた。故郷を見捨てて、
おめおめと生き残ってしまった自分を。だから今、月にいる他の者達と同じように
時を捨てて永遠を生きる事など、とても出来なかった。大災害の前から地球では
不老不死の技術が進歩していて、人間は自分の望む年齢へと姿を変える事が
出来るようになった。誰もが死を恐れ、次々と時間と共に歩む事を止めていた。
そして、これ以上人が増えないようにする為、彼等は子孫を残す事も放棄したのだ。
 
そんな人間達は、神にとって目障りな存在になってしまったのかもしれない。
だから、あの大災害が引き起こされたのだと一部の人間達はウワサする。
「可哀想に。あんな姿になってしまって」
哀れみを込めた目で赤い地球を見つめる老婆を、ミヤは咎めるように睨み付けた。
「お母さんも、私たちが間違ってるって言うの?」
「いいえ。貴方達が一番良いと思って選んだ道でしょう?それを否定する事なんて
出来ないわ。私は…貴方達とは違う道を選んでしまった。でも、私も自分が
一番良いと思って選んだのよ」
「ずるいよ……お母さん」
もう五十歳をとうに過ぎているミヤは、十八歳の少女の頃の顔で言った。
「そんな事言われたら、お母さんの事説得出来なくなっちゃうじゃない」
誰も間違っていない。皆、一番良いと思った道を選んで歩いている。だから、
自分もそれに習ったまで。
「時のままに生き、老いて……死す。太古の昔から繰り返してきた事私にとって、
それが一番良い事だと思うの」
皺だらけの両手を見つめ、老婆は言った。
「天国って、本当にあるのかしら。どんな所なのかしら。そんな事を考えてると、
少しだけど死への恐怖が和らぐ気がするの」
「だったら…!」死ぬのが怖いのなら、若返りの手術を受ければ良いじゃないかと
いうミヤに、老婆は微笑んだ。
「人間には、怖いと思うのも必要な事だわ。それに、地球の大災害に比べたら
私の死への恐怖なんて微々たるものよ」
「死への恐怖は、私には分からない。でも、あれほど怖いものはないと思う」
 
かつては青く美しかった地球。ミヤはどうせなら美しかった頃の地球を今のように
見てみたかったと思った。時のままに年老いていったこの母親も、そう思って
いるのだろうか。これ以上、変わり果てた地球を見ていたくないと彼女は言った。
だから死を願うのだろうか。
「もしも地球が元に戻ったら……それでもお母さんは、今のままでいたいって
思うの?」
老婆は、にっこりと微笑んだ。
「もちろんよ。時のままに生きるのが、私の道ですもの」「そう…」
寂しそうに言うミヤの頭を、老婆は優しく撫でた。
「ミヤ。貴方は、永久(とわ)を生きていく事を選んだ。私の分まで、色々な
事を体験して、がんばってちょうだいね」
「お母さん…」
ミヤにはもう何も言えなかったただ、わずかに残された母親との時間を大切に
しようと思った。
 
「ううう…うううう…」
肩を震わせて唸っている巨大な体躯の主人の背中を見上げて、小鬼は言った。
「閻魔大王様? 何を唸ってるんですか」
「唸ってるんじゃない。泣いてるんじゃ!」
がばっと後ろを振り返った閻魔大王。髭面の威厳のある顔は、涙で
ぐしょぐしょだった。小鬼は、顔が引きつってくるのを我慢しなければ
ならなかった。一度怒らせると、手がつけられないのだ。
「じゃあ、どうして泣いてるんです?」
「……今時、立派な人間がいるもんだなぁと思ってな」
「あぁ、例の不老不死を拒んだ人間のことですか?そうですよね。最近あの世
(こっち)に来る人間がいなくなって、私ら商売上がったりですもんね」
閻魔大王が支配するあの世の入り口は、昔はそれなりに賑やかだったものだが、
今では閑散としている。人間がこないのでは、仕事以前に寂しくてしょうがない。
「決めたぞ、小鬼!あのばあちゃんが来たら丁重にもてなすのだ。そうすれば
きっと当分の間、話し相手になってくれるぞ」
「駄目ですってばっ。いくら仕事がないからってそんな事したら、上から
怒られちゃいますって」
「構うものか。向こうだって生まれてくる事が出来ない人間の相手で忙しいのだ。
ちょっとぐらいどうって事ない」
閻魔大王の言う事も最もかと、小鬼は押し黙った。何より、これ以上小言めいた
事を言ったりしたら、怒り出すに決まっている。それだけは避けなければ
ならなかった。何より、小鬼にとっても話し相手がくると言うのは嬉しい
ものだった。
「早くこないかなぁ、ばあちゃん」
「そうですねぇ」
いつでも出迎えられるように、料理とお茶の準備をしなくてはと思う小鬼と
閻魔大王であった。
この二人の会話をミヤが聞いていたなら、またしても老婆に無理矢理若返りの
手術をさせていたに違いない。
 
 
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