●6号室 本を読む少年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

天界ではそれなりの身分だった大天使の魂を持ち、人間として生まれたものの、
二十一で 死ぬまで悪事の数々を働いてきた男がいた。本来なら地獄に落ちるはずの
男だが、仮にも元大天使。そんな事をしては悪魔達に強力な助っ人を送り込んで
しまう困った神様は、悩んだ末に男の魂を浄化する事にした。天国にも地獄にも、
お前の居場所はない。成仏したければ言う事を聞けと、男に言ったのだ。男は
渋々ながらも、 その命令を聞き入れた。かくして、成仏させてもらえない幽霊、
笹凪敦の『お仕事』は 始まった。そのお仕事とは。死んでからも悔いが残り、
天国へ昇ろうとしない生物達の 魂の『説得』であった。敦はいつものように重力に
従って(幽霊だから、そんなものは ない筈なのだが)、どかりと腰掛けた。
そして、『彼』を見上げる。
「よー。アンタさ 昔の偉い人なんだって?」
「彼』は、答えない。それどころか、敦の方を 見もしない。生きていた頃なら胸倉掴んで
睨みつけていたところだが、今そんな事をしたら神様に大目玉を食らうのは確実。
ヘタしたら、このままずっと成仏させてもらえないかもしれない。それだけは
御免被りたいと、敦はなんとか心を静めて、もう一度『彼』に話しかける。
「お偉いさんてのはさ、敬語で話さないと通じないわけ?」
「…………」
やはり、『彼』は答えない。敦は今度こそ立ち上がって怒鳴って やろうかと思った。
が、その直前。
「まさかとは思ったのですが、今のは、私に話しかけてくださったのですか?」
幼い少年の声を聞いて、浮かしかけていた腰を下ろす。
「あーそうだよ、アンタに話し掛けてんだよ。えーと……なんだっけ……ににの……」
「二宮金次郎です」
少年は持っている本に目を落としたまま、淀みのない 声で言った。かつては
れっきとした人間であった彼も、今は石像の身。動きたくても、動けないのだ。
そうなったのはひとえに彼の成した偉業の賜物なのだが、興味のない敦にそんな
事が分かるわけもなく、呑気にぽんと手を叩いた。
「あー、そうそう、二宮 金次郎! 大層な名前だから覚えにくくってさ。偉い
人ってのは、名前からして立派な もんなんだなぁ」
敦にしてみれば、百万歩譲って持ち上げているつもりだったが、金次郎の返事は
あっさりしていた。
「別に、大層でもありませんよ。それに私は貴方が 思っているほど、偉くも
ありません」
「あっそ…」
片頬を引きつらせながら、何とか平静を保とうとする敦。煮えたぎる湯のような彼の
心情には全く気付かずに、金次郎は 悲しげに眉をひそめた。と言っても石像なので、
外見的にはあまり分からなかったが。
「昔は、私のした事を皆が認めてくれました。こうして今ここにいるのも、
その為です。でも……」
「でも?」
金次郎の言葉に、少し落ち付いた敦が聞き返す。薪を背負い、手に本を持った石像の
少年の告白は、信じられないものだった。
「現在の 教育方針は、昔と比べて随分変わりました。歩きながら本を読むのは
子供には危険だからと『私』を座らせたり、排除してしまう学校だってあるんです」
「排除って 捨てちまうって事か」
「はい。それらの『私』に比べたら、ここにいる私は幸運です。 今でも昔のままの
私でいられるのですから」
敦はうーん、と唸り声を上げる。ここにいる一人だけならともかく、全国各地に
散らばっているとなると厄介だ。彼のお仕事は 天国へ行こうとしない魂の『説得』
なのだから。
「えっと……捨てられちまうのは気の毒だとは思うけどさ、座らせる分には別に
問題ないんじゃねーのか」
「それが納得 できないのです。座って本を読むとなると、薪を下ろさなければ
いけません。それでは 仕事が出来ません。歴史が違ってしまいます」
「そ、そう」何て頭の堅い奴なんだと思いつつ、敦は突っ込めなかった。
金次郎の口調が意外と怖かったからだ。
 「そ、それじゃあさ、アンタはどうしたいわけ? 全国に散らばってる
アンタが、元通りに立ち上がれば良いのか」
金次郎の答えは、これまたあっさりしていた。
「無理ですよ、そんな事」「……へ?」「人間であった頃の私は数々の功績を上げて、
少しは権力もありました。けれど、今ではただの石像でしかありません。
はっきり 言って、口出しなんて出来ませんよ」
「……」何て……何て消極的な奴なんだ。敦は今度こそそう言おうとした。だが
その直前、金次郎はまたしても衝撃的なことをのたまわったのだ。
「それに私は、二宮金次郎『像』であって、二宮金次郎『本人』ではありませんから」
敦は一瞬、自分の耳を疑った。「本人、じゃ、ない…?」
「えぇ。だって人間の魂は、一人につき一つだけでしょう」良く考えたら、それも
そうだ。何個もあったら、大変な事になってしまう。「それじゃあ、本物の
二宮金次郎は?」
「立派にお役目を果たされて、とっくの昔に成仏されましたよ」
「…………!」
今度と言う今度は我慢できなかったらしい。敦は目をひんむいて立ち上がり、
金次郎『像』を睨み付けた。
「じゃあ、てめぇは一体何なんだよ!?」
「だから言ったじゃないですか、二宮金次郎『像』だって。人間の手で作られた石像に
 宿った、ただの精霊です」
「せ、い……れ、い……?」聞いた事もない単語だったが、少なくとも目の前に
いるのは、人間の魂ではないわけで。敦のお役目である説得の対象『外』だったりする。
そう思った途端、堪忍袋の尾がぷちんと音を立てて切れた。
「どーゆー事だよ、これわっ。出てきて説明しやがれ、芽衣(メイ)!」たがが
外れたように叫ぶ敦の後ろで、くすくすと笑う声が聞こえる。振り返ると、黒衣に
身を包んだ死神の女がいた。その手には、大きな死神の鎌が握られている。
「まさかとは思ったけど、本当に引っかかるとは思わなかったわぁ」
「てめぇ、俺を騙しやがったのか!」
「そうよ。でも、人間の死霊と精霊の区別もつかないなんて、落ちぶれたものね。
『かつての』貴方なら、こんな間抜けな罠には引っかからなかったはずなのに」
「…………!」
敦は、かつて大天使だった。けれど、今の彼にはそうであったという自覚はない。
当然、過去の記憶なんてあるわけない。覚えていないことを言われるのは、一番腹が
立つ……!
「いっとくけど、私に手を上げたら貴方二度と成仏できなくなるわよ」
「ぐっ……!」
行動を起こす前に言われて しまい、敦の拳は堅く握り締められるだけに留まった。
芽衣は満足そうに微笑む。
「そうそう、それでいいのよ。ちゃんと言うこと聞いてれば、成仏させてあげるから」
そして今度は、金次郎を見上げる。
「ごめんなさい、大変だったでしょう お礼はたっぷりはずませて頂くわ」
二宮金次郎の像に宿った精霊に、本物の金次郎のように演技をさせたことを言っている。
「いえ…」
遠慮がちに言った金次郎に 芽衣はぺこりと頭を下げた。
「じゃあね、笹凪。次の仕事は追って連絡するわ」
勝ち誇ったように言って、死神の女はその場から姿を消した。後には声も出ないほど
ヘコんでいる敦と、どう慰めようかと悩む金次郎が残った。
「あの……」
思いきって声をかけようとした時、敦はぐっと天を仰ぎ、空気が大きく震えるほど
声を上げて叫んだ。
「ぢきしょー!! 負けねぇーぞ!!」
成仏させてもらえない幽霊、笹凪敦のお仕事はまだまだ続く。
 

 
 
 
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