8号室 風の民

 

 

 

 

 

 

 

少年は、野原の真ん中にぽつんと座っていた。両腕できつく膝を抱え、その中に顔を
うずめている。そんな少年の背中に、少女がそっと声をかける。
「泣いてるの?」
「泣いてないよ!」
顔を上げて、すかさず答える少年。けれどその両目は涙で潤んでいた。少女は
やれやれと言いたげに肩をすくめると、腰に手を当てる。
「行きたくないなら、ここに残れば良いじゃない。他の子達だって、何人か残るって
 言ってるでしょ」
「でも、君は行っちゃうんだろ」
上目遣いに少女を見上げて、少年は 言った。
「ここを離れて、どこか遠くへ」
彼らは、風の民。その子供たち。大人達の意志を継ぎ、神であり母でもある風の
導くままに旅に出る。どこに行き付くかは、分からない。全ては、風の赴くままに。
けれど、それを不安に思う少年もいる。ここにいる少年のように。
「君は、怖くないの? 先の見えない旅なんだよ。どこに着くのかも分からない。
無事ににたどり付けるのかどうかだって」
再びきつく膝を抱える少年。彼の不安そうな目につられたのか、少女も弱気な発言に
なる。
「そりゃあ、怖くないって言ったら嘘になるけど」「それなら!」「でもここに
残るのは嫌」
少年の言葉を遮って、少女は言った。
「考えてもみてよ。『飛ぶ』事が出来るのは、一生に一度だけのチャンスなの。
これを逃したら……この地に残る事を決めてしまったら、後はどんなに動きたくても
動けないのよ。そうなってから後悔するなんて、私は絶対嫌」
大人達は、言った。
我々は、遠い遠い祖国から母なる風に導かれてこの地へやってきた。旅だった時は、
多くの仲間がいた。彼らは新たなる 風に連れられ、それぞれの地へ向かった。
多くの別れがあった。それと同じくらいの出会いも。早くに足をつける地を定めた
者もいれば、儚く命を散らす者もいた。けれど、子供達よ。旅立ちの時を恐れては
ならない。母なる風を信じよ。そして、その身を委ねるのだ。さすれば母は新たなる
故郷をお前達に授けるだろう。
「君は、大人達の言葉を信じてるのかい」
思えばこの少女は、他の子供達や少年よりも 熱心に大人達の話を聞いていた。
そして今も少女は、力強く頷いた。
「もちろんよ。でもそれよりも私、見てみたいものがあるの」
「見てみたいもの?何、それ」
少し興味をそそられたのか、目を丸くする少年に少女は得意げに周りを 見渡した。
「大地よ」
「……それなら、今も見てるじゃないか」
少女は、首を左右に振った。
「違うの。私が見たいのは、空を飛びながら見下ろす大地よ。風がいつも見ている
大地を、私も見てみたいの。素敵でしょうね、きっと」
生まれてからこのかた この野原しか知らない少女はまだ見ぬ大地を想像して
うっとりと目を細めた。そんな彼女を見て、少年はゆっくり立ちあがった。
どうしたの、と問いかけようとした少女に少年は手を差し伸べた。
「決めたよ。僕も一緒に行く」
先刻まで行きたくないと目を潤ませていたのに、どういった心境の変化か。少年は、
照れくさそうに言った。
「旅に出るのはやっぱり怖いけど……何だか君を見てたら、楽しそうにも思えて
きたんだ」
「当たり前よ。いろんな所へ行けるんだもの、楽しくないわけないわ」
そう言ってにっこり笑うと、少女は少年の手に自分の手を重ねた。
「貴方と一緒なら、 きっともっと楽しくなるわ」
「うん」しっかりと手を握った二人の子供達を、温かく優しい風がふわりと抱え上げた。

その途端、二人は人間の姿から綿毛のついたタンポポの種へと姿を変える。
風はそのまま、子供達を連れ去った。見知らぬ大地へと。
数週間後。とある会社の駐車場に咲く黄色い花を、通りかかったOLが見付けた。
「ねー、見て見て。タンポポよ」
「本当。可愛いわ♪」
「二つ並んでるから、まるで夫婦みたいね」
「うんうん、おしどり夫婦みたいー」
彼女達はタンポポをしげしげと見つめた後、会社の中へ入っていった。
その後も二つの タンポポは寄り添うように咲いていた。やがて彼ら『風の民』の
子供達が、再び旅立ちの時を迎える。全ては、母なる風の導くままに。

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