9号室 郵便屋さん

 

 

 

 

 

 


マナは、その時を今か今かと待っていた。場所は、彼女の家の前。
「まだ、来ないのかなぁ」
と言っても、待ち合わせの時間よりもかなり早く家を出たのはマナのほうなので、
相手に非はない。どうせ家の前なんだから、ギリギリまで 中で待っていれば良いのにと                                  自分でも思うのだが、やっぱり落ち付かなくて出てきてしまったのだ。マナは、
ともすれば口から出てきそうなほどの鼓動を繰り返す心臓を静め様と務めながら、
手に持つ物に視線を落とす。それは、白い封筒だった。中には、 マナが昨日徹夜で
したためた手紙が入っている。何でそんな物を持って家の前で突っ立っているのかと
言うと、先日友人から気になる噂話を聞いたからだ。
女のコ達の間でそれは密かに、『郵便屋さん』と呼ばれているらしい。土曜日のお昼
ピッタリに自宅の前で待っていれば、郵便屋さんは現れるらしい。と言っても、
来るのはいつものバイクに乗っているアレではない。
「一体、どんな人なんだろう…」
ウワサによると、郵便屋さんは見た目がかなり変わった人らしい。初めて見る人は、
十中八九驚かずにはいられないと言う。しかし、それを決して顔や態度に出しては
 いけない。もし出してしまったら最後、腹を立てて帰ってしまうからだ。マナは
無意識のうちに深呼吸を繰り返していた。何を見ても驚いてはいけないと、
自分自身に 言い聞かせる。この手紙は、絶対に届けてもらわなければいけないからだ。

そうこうしている間に、お昼のチャイムが町内中に鳴り響く。
「来た…!」
思わず呟いて辺りを 見回したマナと、『彼』の目がばっちりと合った。
「…………」「…………」
全身を硬直させるマナを、『彼』の大きな目がじっと見つめている。
「カメレオン…」
止まった思考がようやく戻り始めたマナが最初に言ったセリフに、『彼』はのんびりと
 した口調で答えた。
「いかにも」
その声を聞いた時別の誰かが喋っているのかと思い、マナは視線をさ迷わせたが、
生憎とこの辺りにいるのは『彼』と自分だけ。『彼』は、 三十センチほどの
緑色の身体でマナの家の塀の上に座っていた。いや、しがみついていたと言った方が
正しいかもしれない。マナはつとめて冷静な声で、もう一度聞いた。
「郵便屋さん?」
『彼』はまたしても、寝起きのような口調で答えた。
「いかにも」
今度こそ、間違いない。目の前にいるカメレオンこそが、ウワサの郵便屋さんなのだ。
しかし、変わった人だというのは聞いていたがよりにもよって口の利ける
カメレオンとは。これでは驚かずにはいられないだろうと思っていると、郵便屋さんが
言ってきた。
「届け物かな」
大きな白い目が、白い封筒を見ている。マナは自分の目的を思い出し、慌てて言った。
「あ、は、はいっ、そうです。あの、でもその前に一つお聞きしてもいいですか?」
「申してみよ」
驚きやもの珍しさが顔に出ていやしないかとマナは内心 冷や冷やしていた。
それでもどうにか、言葉を紡ぐ。
「貴方は、目に見える『物』では なくて、『想い』を運ぶ郵便屋さんだと
聞いたんですが…」
「いかにも」
「たとえ相手が、どんな場所にいても届けてくれるんですよね」
郵便屋さんは馬鹿にするなとでも言いたげに、少し目を細めた。
「拙者の行く先に、境界線などあらず」
「……届け先が、あの世でも?」
「無論である」
「良かった…!」
マナは今までの緊張が解けたように、ほっと胸を撫で下ろした。そして、手に持った
白い封筒を差し出す。
「これを……あの子に届けてください」
「承知した」
郵便屋さんは赤くて長い舌を伸ばすと、マナの手から白い封筒を取り。ぱくりと、
食べてしまった。しかしマナは、別段驚かなかった。ただ、『物』ではなくて
『想い』を届けるという事はそういう事だったのかと、漠然と思った。手紙を食べた
郵便屋さんの身体が突如、 緑から赤に変わったのはその時だった。目を見開くマナに、

郵便屋さんは静かに言った
「ふむ……合格である」「え…?」「拙者は、お主達の『想い』を食す。代わりに、
それをお主達の望む者へ届ける。しかし、拙者の腹が満たされぬ『想い』は運ばない」
「そうだったんですか」
ウワサに聞いた『想い』を運ぶ為の試験とはこの事だったのか と、マナは頷いた。
「それじゃ、私の『想い』は…」
「お主の『想い』は、大層美味で あった。よって、合格である」
「あ、ありがとうございます!」
「しかし、死者への『 想い』は危険である」
水を差すように言った郵便屋さんに、マナの笑顔はすぐに出番を なくした。
「合格したからにはこの『想い』、必ず届けよう。だが死者はお主の元へ戻る事はない。

それを肝に命じよ」
「分かって、います」搾り出すように、マナは言った。下を向くと涙が出そうなので、
郵便屋さんを見上げる。
「これ一回きりにする つもりで、昨日徹夜で手紙を書きました。あの子に、
ちゃんとお別れが言いたかっただけなんです」
すると郵便屋さんは、初めて微笑むように頬を吊り上げた。
「それを聞いて、安心した」
そう言うと、スタスタと歩き出した。
「一週間後、同じ時間に待て」
返事を届けてくれるらしい。マナは再びぱっと笑顔になると、歩き去っていく
郵便屋さんに頭を下げた。
「はい、お願いします!」
そして、約束の一週間後。マナは家の前でそわそわとお昼の時報を待った。
キンコーン…。鐘の音が、正午を告げる。マナの胸も、大きく高鳴った。 その時。
どこからともなくやってきた柔らかな風が、彼女の身体を優しく包みこんだ。
「えっ…?」
一体何が起きたのかと目を瞬かせるマナの耳元で、何かが聞こえた。“ニャーン…”
「タマ!?」
姿は見えない。けれど、マナは確信した。この声は、一ヶ月前に事故で死んだ飼い猫の
声だと。
「郵便屋さんが、タマの『想い』を届けてくれたんだわ…!」
その後もう一度 耳をすましてみたが、タマの声は聞こえなかった。けれど、

マナの心はタマへの想いと 郵便屋さんへの感謝の気持ちでいっぱいだった。
「ありがとう…」
先刻のタマのあの声も、そう言っていたような気がした。春の木漏れ日のような微笑を
浮かべるマナ。そんな彼女の横顔を、遠くから見つめるものがいた。

郵便屋さんである。役目を果たした彼は、満足そうに二、三度頷くとくるりときびすを返した。
「人間の手助けも 悪くない」
ぽつりと呟いた郵便屋さんは、次の『想い』を探して歩き始めた。

 

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